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私は今日からちょっと早めのGW休みです。
とは言っても、全然休日モードではありません。
ロックダウン、外出制限、「3密」を避ける、自粛、そんな言葉を聞いてばかりで、行く場所も、できることも制限されているわけですから。
というのはよそ行きの言葉で、普段と変わらないで過ごしています。「仕事」というものを決められた時間だけやるというスタイルではないので、やることがあれば土日でもお風呂の中でもやっている、ただそれだけです。
そうは言っても、お子さんがいるご家庭は本当に大変だと思います。
子供は外で遊びたくても思うように遊べず、学校へも行けないので友だちとも会えない。
しかし、ですよ!
ここは人間だけが使える「思考」を存分に使って、現状を打開していきましょう。
じゃ何をしたら良いでしょうか?
一つの提案は、断捨離です。
でもそれは巷で言われているような不要になった本や服をただ捨てるというだけではもったいないです。断捨離の「先」にあることを想像しながら、始めてもらいたいのです。
コロナウイルスが蔓延して、私たちも気づいたはずです。
「今までの世界は、あまりにも固定化されていた。」
ということを。
ルール、規則、数字
時間、場所、価格
スピード、成果、評価
どれもこれも表面的に目に見えるものばかり。
合理的で効率的、お金に換算できるものばかり。
数や量に固執し、拡大や上昇につながるものばかり。
そんな社会では、「余剰」は役に立たないものとみなされてきました。
しかし、今の生活を見てみてください。
あなたには、「何」が残っていますか?
効率的に無駄のない仕事、人生を送ってきて、今現在何が出来ていますか?
ジブリ作品の「ハウルの動く城」は知っていますよね?
魔法使いハウルの住まいで、ガラクタが集積した生き物のようで、鳥に似た4本の足で歩行して移動する、アレです。
見てくれも悪いし、歩き方も不格好。
それは私たちが見ているビルや建物とは対極にあるものです。
緻密に設計し、コストや効率を重視した造り、無駄がありません。でもどこか無機質で冷たい雰囲気があります。
「余剰」は別の言葉で言い換えれば、「遊び」や「ズレ」「ゆがみ」です。
そういったものが私たちの生活からどんどん削ぎ落されてきてしまったと思いませんか?
フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは、「ブリコラージュ」という考え方を提唱しています。
簡単に言えば、寄せ集めのものから何かをつくる「日曜大工」のようなもの。
一見関係性がないような雑多なものを組み合わせて、新しい創造にチャレンジする。狩りの道具をつくったり、祭りや呪術をしたり、人間は本来そういう思考(野生の思考)を持っていたのですが、資本主義社会がその思考を使わなくても良いような構造をつくっていったのです。
ですから、このGW、ステイホーム週間は、まず不要なものを捨てましょう(断捨離)。
その上で、ブリコラージュ的な創造活動にチャレンジしてみましょう。
日曜大工、DIYをするもよし、歌や詩、俳句を書くのもよし。
創作料理、起業プラン、好きな漫画の読書感想文でもよし。
とにかくルールや世間体など気にしないで、オリジナルの「作品」をつくってみませんか?
もし、狭山市近隣にお住まいの方で、新聞、雑誌、段ボールなどを片付ける方は、智光山古紙リサイクルパーク「こしパ!」をぜひご利用下さい。
Posted by 奥富 宏幸 at 15:07 | つらつら | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
やばせ一郎さんが4月25日(土)に子ども食堂を開催します。
今回で48回目になります!お時間のある方はぜひご参加下さい!!
◆◆◆夢だいにんぐ詳細◆◆◆
日時:4月25日(土)12時~14時
場所:夢はうす(狭山市中央3‐7、西武狭山台ハイツN-108)
料金:こども(中学生以下)無料 大人300円
メニュー:夢はうす弁当(※持ち帰りとなります)
主催:NPO法人まちのつながり推進室
子どもの食事難や孤食に対する問題は、親の仕事や家庭の事情も関係していて複雑です。
しかし、難しいことはひとまず置いておいて、温かい美味しい食事を提供することで子供たちが気持ちもお腹も温かくなる時間を過ごして欲しいというやばせさんの思いと活動は、本当に素晴らしいと思いますし、出来る範囲で応援していきたいです。
新型コロナウイルスの影響で学校が休みの子供たちにとって、息抜きの時間になるといいなと思います。
Posted by 奥富 宏幸 at 08:26 | 働く | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
新型コロナウイルスの感染拡大により、経済も非常に悪化してきています。
大手企業のみならず、飲食店や観光業、バス運転手など影響を受けない業界はほとんどないのではないでしょうか?
国からは、休業補償、助成金などの支援策の話もありますが、時間がかかることですし、一時的な対応でしかありません。もちろん、今日明日を生きるのに必死な経営者の皆さんがいるのも理解できますし、私自身も中小企業を経営している身として、この難局をどう乗り切るかずっと考えています。
経営者の悩みは尽きません。
- 日々の業務に忙殺され、大きな視点で自社の戦略と仕組みを構築できない。
- 人材の量的不足だけでなく、雇用環境の質的な変化に対応できない。
- 業界常識や自社の強みに固執してきたために非連続な変革を自覚できない。
こんな課題を持ちながら時間だけが過ぎ、事業はジリ貧になっていく、そんな企業をたくさん見てきました。そして、速く、楽にビジネスで結果を出せるように思わせるサービスが蔓延し、情報弱者を食い物にするようなビジネスが巧妙に誘惑してきます。「本当に見たいものが見えないようになっている。」それが経営者を取り巻く構造なのです。
会社の方向性が定まらなければ新しいマーケティング理論を学ぶ、集客率を上げるために会社のウェブサイトのSEO対策をする、営業成績が悪ければ営業研修のセミナーに参加する、社員の離職率が上がれば転職サイトに広告を掲載する。よくある改善策です。
しかし、いくら組織やマーケティングが一時的に部分的に改善されても、会社が強くなることはないでしょう。担当した部署に余計な負荷がかかり、成果の評価もうやむやになるのが関の山です。
業績が悪くなると、コンサルタントにアドバイスを求める経営者もいます。
先生に言われるがまま、ビジョンや経営計画をつくる、効率化に向けた改善活動をする、挨拶を徹底してトイレを掃除するなんてことを真剣にやっている会社もあります。
しかし、会社としての強みやお客様への価値づくりをどのようにつくるのかといった目的が明確でなければ、先生の言うことを聞いて社員は頑張って工場の中をいろいろいじったけれど、結果は現場に混乱が生じてかえって前より悪くなったということもよく聞く話です。
コンサルタントやコーチは、自分の経験したこと以上の価値をクライアントに提供することは出来ません。
コンサルティング会社で働いた経験がなく、コンサルタントを名乗る人もいますが、ビジネスの深みや経営者の心情の奥底まで理解した上で、アドバイスをしている人がどれだけいるでしょうか?厳しい状況に置かれ、わらをもすがる思いで相談してくる立場の弱い経営者を食い物にしていている人がいるのが悲しい事実です。
コーチングでは、「ありのままのあなたでいい。」とか「潜在意識に働きかけましょう。」といった言葉で相手を気持ちよくさせます。しかし、いくら自分の内面を掘り下げても、世界は1mmも変わることはありません。そういうフワフワしたものに逃げずに、時には自己否定をしなければ、過去の自分を乗り越えることはできないのです。
経営者に限らず多くの人は、余計な問題を自ら作りだし苦しんでいるのではないでしょうか?
他人の評価を気にして、周りと似たような考え方でいるのは楽なことですが、成長はありません。他人や他社と同じようなことをしていれば、いずれ埋もれてしまうのです。そうして、また新しい問題を作り出してしまいます。
結局は、絶望を繰り返すか、自分のやるべきことに挑戦し続けるか、ということです。
Posted by 奥富 宏幸 at 20:21 | コンサルティング | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
日本は経済的には豊かになりましたが、ここへ来て大きな転換点にあります。
技術革命やグローバル化が進み、社会がつながりやすくなる一方で、
孤立や格差が生まれる負の側面も現われています。
「過剰」と「所有」のゆがんだ価値観が、現代ビジネスの多くの問題の
根底に流れているのです。
ITとインターネットを駆使した海外の新興企業が、日本の産業を飲み込もうと
いう勢いで成長しています。また、人口減少と少子高齢化が進み、
量的な労働力の低下は避けられない状況です。
多くの企業が、労働生産性や付加価値を高めようと働き方改革や新サービスを
打ち出していますが、決して十分ではありません。
変化の激しい競争にさらされている中で、国や企業が長期的に社員を守るような
構造がもはや成立しない時代になってしまいました。
日本の強みとされてきた終身雇用制度や年功序列制度といったシステムも、
企業・社員とも敢えて求めなくなりました。
つまり企業と社員の関係性が、「主従」から「共創」に変わってきたのです。
ビジネスの視点から言えば、マスマーケティングの時代は終わり、
「切り売り」の時代になりました。「持たない社会」とも言えますし、
大きな物語の時代から小さな物語の時代へ移行したとも言えます。
ですが、多くの企業は次のような問題を抱え、経営者やリーダーの成長を
阻害しています。
これは、裏を返せば経営者や企業でリーダーを目指す人が解決していかなければ
いけないことになります。
- 「与え合う」甘えの構造、依存体質になっている
- 「大企業・中小企業・個人商店」という固定点に落ち着いている
- 経営者自身の成長の機会が不足している
- 経営者が目指すべき世界観を持てていない。
- 業界や自社の常識を信じ切っている
- ネットワーク力、同志を増やせていない
これらの問題に対処するには、今までの固定観念を捨てる覚悟を持ち、
自我を捨てて、世の中に貢献する使命感が必要になります。
そして、その考え方をしっかりと言語化し、伝えていかなければなりません。
商品・サービスというのはあくまでその目的のための手段に過ぎないのです。
今こそ、開拓者スピリッツを持って、会社のあり方、経営者と社員のあり方を
変えていかなければいけないのです。
Posted by 奥富 宏幸 at 11:55 | コンサルティング | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
連日のコロナ報道で、経済と社会が停滞してきました。
さらに恐ろしいのは、私たちの心が折れて、思考停止になることです。
私もそうですが、経営者の皆さんは本当に大変な状態にあると思います。
資金繰り、社員への給与支払い、営業先の確保といった短期的な課題はもちろん、
今後の事業の方向性をどうしたら良いか頭を悩ませていることと思います。
この時期の世相を一言で言えば、「冬眠」です。
移動、物流、商売、レジャーなどの活動が制限され、国、個人間のレベルで
従来のつながりが分断されました。
まさに経済活動の凍結、人間の営みの冬眠とも言えます。
社会活動のスピードが落ち、必要なエネルギーを最小限にする動きです。
それはスローモーションで映画を観ているような世界にいるのではないでしょうか?
ということは、こんな身動きが出来ない時だからこそ、
ビジネスや社会の些細な変化を読み取れるチャンスでもあります。
行きすぎたグローバリゼーションの中で現状を直視するには、
瞬きをせずに動き回るか、目をつむって不条理な世界を見過ごしていたかもしれません。
しかし、今は瞬きをする度に、見える景色が変わっているのだと思います。
その変わる景色に対して、どんな風にビジネスを展開していくかを
考え尽くすということではないでしょうか?
知性を振りかざしたり、高邁な精神に酔うことなく、それでも社会の矛盾に
潔く分け入る。
そして、人の良識に問いかけながら、新しいライフスタイルをつくることに邁進したいと思います。
いっしょにこの難局を乗り越えていきましょう。
Posted by 奥富 宏幸 at 11:54 | コーチング | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
七都道府県に緊急事態宣言が発令された昨日に、個別相談を行いました。
「3密」を控えるように言われていますので、オンラインでの相談となりました。
パソコンの画面越しに話をするのはいつもと勝手が違うのでどうなることかと
思いましたが、問題なくできました。
相手の表情が読み取りにくかったり、紙にイメージを書いて共有したりすることに
難はあるものの、言葉を伝えるということには違いはないのかもしれませんね。
相談された方は従業員30人ほどの会社を経営されていますが、
コロナウイルスの感染拡大で取引先の営業中止や生産縮小が影響し、
業績が悪化しているとのこと。
いろいろなお話を聞いている中で、私はその経営者の出てくる言葉に
特徴があると感じました。
「どこの会社も厳しい状況ですよ。」
「ただ収束するのを待つしかないですよ。」
「もう祈るしかないですね。」
「飲みにも行けないし参ってしまいます(笑)。」
そうです。問題を自分事として捉えていません。
業績が悪くなったのは、コロナウイルスの影響だ。
それはどの会社も同じだから仕方ない。
そんな思考になっているのです。
これでは、その会社の社員がかわいそうだと思いました。
もちろん、今回のコロナウイルスの感染拡大は誰にも予想できなかったことです。
それでも、この状況を冷静に俯瞰して、状況を好転するための
打ち手を考えないといけないのです。
恐らく多くの経営者は、コロナウイルス禍が収束するまでじっと
ガマンするしかないと考えているでしょう。
無駄な経費を減らしたり、雇用調整をしたり、営業時間を変更したり、
そんな施策を打つと思います。
ただ、それだけでは会社は根本的には何も変わりません。
今回の騒動で自社の弱みを痛感したのだとしたら、
今から真の強みをつくる準備をしなければなりません。
それは生みの苦しみで、とても辛いものです。
自分の会社、自分の業界を否定することもあるからです。
それでも、自分がビジネスを通して社会に問いかけたいものが見えてくれば、
そんな自己否定も気にならなくなります。
一時的に売上が落ちても、社員が辞めても、その考え方を貫くことに
なるのだと思います。
会社というのは社会の課題解決のために存在するべきなのですが、
目の前の課題解決に逃げてしまう。
いや、目の前の課題からも逃げてしまうこともあるのではないでしょうか?
「社会に問う、自分に問う」
その思考と行動を繰り返した先にしか、真の強みは作れないのではないでしょうか?
Posted by 奥富 宏幸 at 15:38 | コンサルティング | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
どこもかしこも新型コロナウイルスの話題ばかりです。
日本の感染者数は海外と比べると低いのは検査体制の問題なのか、政治的思惑があるのかは定かではありません。
イギリスでは、「収束」までに2年要すると発表しているのを見ると、まだまだ世界での混乱は続くと思います。
確かめようのない情報の真偽に翻弄され、結局自分ではマスクを買い占めることくらいしかできない人が増えていくことが心配です。
しかし、その混乱に振り回されて右往左往しているだけで何も変わりません。
真のリーダーやビジネスの強者というのは、この困難の間にも冷静に状況を俯瞰して、
新たな挑戦に向けて準備していると思います。
ところで新聞や雑誌などを読むと、「コロナの脅威が去った後の世界はどうなるのか」といった風潮の記事が見られます。
テレワークや時間差通勤といった働き方改革が大きく進むとか、中国に集中していたグローバルサプライチェーンを見直してリスクを分散したほうが良い、とかそんな内容です。
「コノナの脅威はいつ去るのか?」
「コロナの脅威が去った後は世界がどう変わるのか?」
あなたは、どんな風に考えますか?
結論から申し上げると、コロナの脅威が去ることはないですし、世界は何も変わりません。
「アフターコロナ」があるのではなく、私たちがもともと見えていなかった、目を背けてきた課題がコロナで露になっただけなのです。
第二、第三のコロナは今すでに存在しています。それは感染症だけでなく、人間が生み出す不安や憎悪の連鎖です。
コロナの脅威が去ったと思った後には、新たな脅威に怯えるでしょう。ヒトは、脅威から逃げることはできないですし、むしろ逃げてはいけないのです。
脅威をねじ伏せたり、根絶しようとするから新たな脅威に対する不安が生まれてしまいます。ワクチンで感染症を根絶することが人類の勝利などという発想自体が非常に実存的に思えます。
人類は不安を自ら生み出し、仮想敵をつくり、標的にするという歴史を繰り返してきました。戦争、人種差別、貿易摩擦、領土問題など、枚挙に暇がありません。
その不安に立ち向かい乗り越えたつもりでも、未知なる脅威の前で無力感に苛まれるのが人間なのです。
無力さを知っているからこそ、国家権力による制限と罰則が生まれます。一方で、その網目をかいくぐろうとする強者と弱者の乖離の構図がより鮮明になっているのが今の世界の姿なのではないでしょうか?
新型コロナウイルスがこんなにも恐いと感じるのはどうしてでしょう?
それは、いつ感染し、感染させるか分からないので、死の臨場感が高まるっているから。そう、映画の世界が現実になったのです。
絶望と希望の境目が曖昧になっていて、絶望を希望と錯覚している人も多いのではないでしょうか?別の表現をすれば、虚構の世界と実態の世界が近づいている状態とも言えます。
また、コロナウイルスの感染は、全員が加害者にも被害者にもなりうると言う点で、戦争とは異なります。
本当の意味での問題解決を目指すのであれば、お金やビジネスが入り込む余地はないはずです。
しかし、それはグローバル資本主義の中で生きる私たちにとっては、不可能に近いことです。病気になれば薬が売れ、店が閉まればネット通販が儲かるという構図があります。誰かの幸福は誰かの不幸であることが理なのです。
コロナが露にしたもの、それは過剰消費と資本の独占に目がくらんでしまったグローバリゼーションの顛末。
自分にない資源や資本を他人から搾取するという人間の性から逃れことはできません。
ビュッフェで食べ切れないほどの食事を取って捨ててしまうことと、企業や国が必要以上に資本・資源を搾取して、公害や社会問題をつくっているのは同じ構図です。
地球の公共物である「資源」を、人間が私物化し「私源」を生みだしました。その欲求が肥大化すれば、行き場のないごみとして「死源」になります。
海洋プラスチック問題や放射性廃棄物処理の問題とタピオカ容器のポイ捨ては規模の差はあれ、同じ問題なのです。
今後は、スケールメリットをさらに追求する一握りの超大企業群と、非効率で手間暇かかる領域で成長する中小企業群に収斂されていくと思います。
もしあなたが大企業で働いていようが、中小企業で働いていようが、どんな構造の中でお金を稼いでいるのかを俯瞰してみて下さい。
そして、そのお金の稼ぎ方は他社にマネできるものであれば、これからあなたがどうやってお金を稼いでいくのかを真剣に考えてみて下さい。
あなたの会社が社会に存在する理由は何なのか、あなたがその会社で働く理由は何なのかを真剣に考えてみて下さい。
コロナウイルス禍は、社会に必要とされる仕事が見えてくる格好の機会ですが、人はまたその変革のチャンスにフタをしてしまうかもしれません。でも、そのチャンスに気づいている人もいます。
社会が良い方向に進むには、「余剰」が必要になります。「挑戦の機会」や「思考の余白」「他者への配慮」と言い換えても良いです。
「余剰」は「無駄」と同一ではありません。それを勘違いしている人が多いのが事実です。
業務量の平準化、生産量の調整、生産性の向上・・・
そういった「無駄」を減らす発想では、組織も社会も内側から変わることはもはやできないのです。
私の会社でも仕事量に関わらず就業時間内に全ての仕事を終える社員がいます。
それは、仕事を時間とお金という制約の中で考えていることによるものです。
「余剰」には「時間」のように見えるものだけではなく、「想い」や「願い」「意志」などの見えないものも含まれます。
むしろ、そういったものを大切にしていかなければいけない社会なのです。
少し、大袈裟な言い方になりますが、組織や社会に「余剰」つまり、自他を超えたものに託す行いを増やしていくことが、コロナの脅威が去ったことになるのではないでしょうか?
あなたは今回のコロナウイルス騒動について、どんな風に考えていますか?そして、どんな会社でどんな仕事をしていきたいですか?ぜひ意見を聞かせて下さい。
Posted by 奥富 宏幸 at 16:47 | つらつら | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)
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