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やばせ一郎さんが5月23日(土)に子ども食堂を開催します。

 

今回で50回目になります!お時間のある方はぜひご参加下さい!!

 

◆◆◆夢だいにんぐ詳細◆◆◆

 

日時:5月23日(土)12時~14時

 

場所:夢はうす(狭山市中央3‐7、西武狭山台ハイツN-108)

 

料金:こども(中学生以下)無料 大人300円

 

メニュー:夢はうす弁当(※持ち帰りとなります)

 

主催:NPO法人まちのつながり推進室

 

 

子どもの食事難や孤食に対する問題は、親の仕事や家庭の事情も関係していて複雑です。

 

しかし、難しいことはひとまず置いておいて、温かい美味しい食事を提供することで子供たちが気持ちもお腹も温かくなる時間を過ごして欲しいというやばせさんの思いと活動は、本当に素晴らしいと思いますし、出来る範囲で応援していきたいです。

 

新型コロナウイルスの影響で学校が休みの子供たちにとって、息抜きの時間になるといいなと思います。

 

Posted by 奥富 宏幸 at 11:17 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

「緊急事態宣言」が5月末まで延長されることになりそうです。

 

「ロックダウン」「オーバーシュート」など今まで聞いたことがないような言葉を

耳にし、映画の世界が現実に起こっています。

 

毎日、感染者数が報道され、不安感も増大しているのではないでしょうか?

でも、それは不安に自分が取り込まれているだけであって、

必要な情報を自分から取りに行くことで、ずいぶんと楽になると思います。

 

 

 

ところで、最近は、SNSでもメディアでも、

 

「ステイホーム」

「お家で過ごそう」

 

と、みんなで自粛しよう!という動きが広がっています。

 

 

ステイホーム、
ステイホーム、
ステイホーム・・・

 

 

「禁止への侵犯」ではないですが、人は「やめろ!」と言われると
むしろしたくなる欲求がありますね。

 

その欲求を抑え、何とか自粛モードを乗り切ろうとYouTubeなどで発表されていますが、
皆さんは何か考えましたか?

面白いアイデアがあれば、ぜひシェアして下さい。

 

 

 

私はこんなことを考えてみました。

 

今回のコロナ騒動で何が一番辛いかと言えば、今までできたことができないこと、

自己決定権が制限されること。

 

 

行動も会話も制限される・・・ であるなら、

今の自粛期間を「海外留学」と考えてみてはどうでしょう?

 

 

異国の地では、何かもかもが初めての経験です。

留学当初はどこに何があるのかも分からず、行動範囲は非常に限定されます。

 

 

そして、「自宅で留学する」ために名前も変えてしまいましょう。

例えば、ダニエル・クレイグとか。

 

「今日から自分はクレイグだ!」と宣言してみるといいです。

周りの人にも名前を変えるようお願いしてみましょう。

 

 

家族から、テレワークで会社の同僚から、

 

「クレイグ、今日の調子はどう?」

「クレイグ、このレポートをつくっておいて。」

 

と言われるのです。

 

クレイグとして生きてみると、緊急事態宣言前の状態が違う世界に

見えてくるのではないでしょうか?

 

 

さらに、使う言語も変えてしまいましょう。

 

海外では日本語が通じないように、自宅ホームステイ期間中は、

使用する言葉の語尾に必ず「コロナ」をつけるのです。

 

 

「おはようコロナ」

「今日は何食べるコロナ?」

 

といった具合に。

 

何を馬鹿なことを言っていると思うでしょうか?

 

 

でも、あれこれしているうちに、「コロナ」という言葉も抵抗なく

自然と使えるようになる自分に気づくと思います。

 

コロナウイルス自体ではなく、コロナウイルスという言葉に、

翻弄されている部分もあるのではないでしょうか?

Posted by 奥富 宏幸 at 14:50 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

私は今日からちょっと早めのGW休みです。
とは言っても、全然休日モードではありません。

 

ロックダウン、外出制限、「3密」を避ける、自粛、そんな言葉を聞いてばかりで、行く場所も、できることも制限されているわけですから。

 

というのはよそ行きの言葉で、普段と変わらないで過ごしています。「仕事」というものを決められた時間だけやるというスタイルではないので、やることがあれば土日でもお風呂の中でもやっている、ただそれだけです。

 

 

そうは言っても、お子さんがいるご家庭は本当に大変だと思います。

子供は外で遊びたくても思うように遊べず、学校へも行けないので友だちとも会えない。

 

しかし、ですよ!

 

ここは人間だけが使える「思考」を存分に使って、現状を打開していきましょう。

じゃ何をしたら良いでしょうか?

 

 

一つの提案は、断捨離です。

 

でもそれは巷で言われているような不要になった本や服をただ捨てるというだけではもったいないです。断捨離の「先」にあることを想像しながら、始めてもらいたいのです。

 

 

コロナウイルスが蔓延して、私たちも気づいたはずです。

 

「今までの世界は、あまりにも固定化されていた。」

 

ということを。

 

 

ルール、規則、数字
時間、場所、価格
スピード、成果、評価

 

 

どれもこれも表面的に目に見えるものばかり。
合理的で効率的、お金に換算できるものばかり。
数や量に固執し、拡大や上昇につながるものばかり。

 

そんな社会では、「余剰」は役に立たないものとみなされてきました。

 

 

しかし、今の生活を見てみてください。

 

あなたには、「何」が残っていますか?

効率的に無駄のない仕事、人生を送ってきて、今現在何が出来ていますか?

 

 

 

ジブリ作品の「ハウルの動く城」は知っていますよね?

 

 

魔法使いハウルの住まいで、ガラクタが集積した生き物のようで、鳥に似た4本の足で歩行して移動する、アレです。

見てくれも悪いし、歩き方も不格好。

 

 

それは私たちが見ているビルや建物とは対極にあるものです。
緻密に設計し、コストや効率を重視した造り、無駄がありません。でもどこか無機質で冷たい雰囲気があります。

 

 

「余剰」は別の言葉で言い換えれば、「遊び」や「ズレ」「ゆがみ」です。

そういったものが私たちの生活からどんどん削ぎ落されてきてしまったと思いませんか?

 

 

フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは、「ブリコラージュ」という考え方を提唱しています。

 

 

簡単に言えば、寄せ集めのものから何かをつくる「日曜大工」のようなもの。

 

一見関係性がないような雑多なものを組み合わせて、新しい創造にチャレンジする。狩りの道具をつくったり、祭りや呪術をしたり、人間は本来そういう思考(野生の思考)を持っていたのですが、資本主義社会がその思考を使わなくても良いような構造をつくっていったのです。

 

ですから、このGW、ステイホーム週間は、まず不要なものを捨てましょう(断捨離)。
その上で、ブリコラージュ的な創造活動にチャレンジしてみましょう。

 

 

日曜大工、DIYをするもよし、歌や詩、俳句を書くのもよし。
創作料理、起業プラン、好きな漫画の読書感想文でもよし。

 

とにかくルールや世間体など気にしないで、オリジナルの「作品」をつくってみませんか?

 

 

もし、狭山市近隣にお住まいの方で、新聞、雑誌、段ボールなどを片付ける方は、智光山古紙リサイクルパーク「こしパ!」をぜひご利用下さい

Posted by 奥富 宏幸 at 15:07 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

どこもかしこも新型コロナウイルスの話題ばかりです。

日本の感染者数は海外と比べると低いのは検査体制の問題なのか、政治的思惑があるのかは定かではありません。

 

イギリスでは、「収束」までに2年要すると発表しているのを見ると、まだまだ世界での混乱は続くと思います。

 

確かめようのない情報の真偽に翻弄され、結局自分ではマスクを買い占めることくらいしかできない人が増えていくことが心配です。

 

 

 

しかし、その混乱に振り回されて右往左往しているだけで何も変わりません。

 

真のリーダーやビジネスの強者というのは、この困難の間にも冷静に状況を俯瞰して、
新たな挑戦に向けて準備していると思います。

 

 

ところで新聞や雑誌などを読むと、「コロナの脅威が去った後の世界はどうなるのか」といった風潮の記事が見られます。

 

テレワークや時間差通勤といった働き方改革が大きく進むとか、中国に集中していたグローバルサプライチェーンを見直してリスクを分散したほうが良い、とかそんな内容です。

 

「コノナの脅威はいつ去るのか?」
「コロナの脅威が去った後は世界がどう変わるのか?」

 

 

あなたは、どんな風に考えますか?

 

 

 

結論から申し上げると、コロナの脅威が去ることはないですし、世界は何も変わりません。

 

 

「アフターコロナ」があるのではなく、私たちがもともと見えていなかった、目を背けてきた課題がコロナで露になっただけなのです。

 

第二、第三のコロナは今すでに存在しています。それは感染症だけでなく、人間が生み出す不安や憎悪の連鎖です。

 

コロナの脅威が去ったと思った後には、新たな脅威に怯えるでしょう。ヒトは、脅威から逃げることはできないですし、むしろ逃げてはいけないのです。

 

 

脅威をねじ伏せたり、根絶しようとするから新たな脅威に対する不安が生まれてしまいます。ワクチンで感染症を根絶することが人類の勝利などという発想自体が非常に実存的に思えます。

 

 

人類は不安を自ら生み出し、仮想敵をつくり、標的にするという歴史を繰り返してきました。戦争、人種差別、貿易摩擦、領土問題など、枚挙に暇がありません。

 

その不安に立ち向かい乗り越えたつもりでも、未知なる脅威の前で無力感に苛まれるのが人間なのです。

 

無力さを知っているからこそ、国家権力による制限と罰則が生まれます。一方で、その網目をかいくぐろうとする強者と弱者の乖離の構図がより鮮明になっているのが今の世界の姿なのではないでしょうか?

 

 

新型コロナウイルスがこんなにも恐いと感じるのはどうしてでしょう?

 

それは、いつ感染し、感染させるか分からないので、死の臨場感が高まるっているから。そう、映画の世界が現実になったのです。

 

絶望と希望の境目が曖昧になっていて、絶望を希望と錯覚している人も多いのではないでしょうか?別の表現をすれば、虚構の世界と実態の世界が近づいている状態とも言えます。

 

また、コロナウイルスの感染は、全員が加害者にも被害者にもなりうると言う点で、戦争とは異なります。

 

本当の意味での問題解決を目指すのであれば、お金やビジネスが入り込む余地はないはずです。

 

しかし、それはグローバル資本主義の中で生きる私たちにとっては、不可能に近いことです。病気になれば薬が売れ、店が閉まればネット通販が儲かるという構図があります。誰かの幸福は誰かの不幸であることが理なのです。

 

 

 

コロナが露にしたもの、それは過剰消費と資本の独占に目がくらんでしまったグローバリゼーションの顛末。

 

自分にない資源や資本を他人から搾取するという人間の性から逃れことはできません。

 

ビュッフェで食べ切れないほどの食事を取って捨ててしまうことと、企業や国が必要以上に資本・資源を搾取して、公害や社会問題をつくっているのは同じ構図です。

 

地球の公共物である「資源」を、人間が私物化し「私源」を生みだしました。その欲求が肥大化すれば、行き場のないごみとして「死源」になります。

 

海洋プラスチック問題や放射性廃棄物処理の問題とタピオカ容器のポイ捨ては規模の差はあれ、同じ問題なのです。

 

 

今後は、スケールメリットをさらに追求する一握りの超大企業群と、非効率で手間暇かかる領域で成長する中小企業群に収斂されていくと思います。

 

もしあなたが大企業で働いていようが、中小企業で働いていようが、どんな構造の中でお金を稼いでいるのかを俯瞰してみて下さい。

 

そして、そのお金の稼ぎ方は他社にマネできるものであれば、これからあなたがどうやってお金を稼いでいくのかを真剣に考えてみて下さい。

 

 

あなたの会社が社会に存在する理由は何なのか、あなたがその会社で働く理由は何なのかを真剣に考えてみて下さい。

 

コロナウイルス禍は、社会に必要とされる仕事が見えてくる格好の機会ですが、人はまたその変革のチャンスにフタをしてしまうかもしれません。でも、そのチャンスに気づいている人もいます。

 

社会が良い方向に進むには、「余剰」が必要になります。「挑戦の機会」や「思考の余白」「他者への配慮」と言い換えても良いです。

 

「余剰」は「無駄」と同一ではありません。それを勘違いしている人が多いのが事実です。

 

業務量の平準化、生産量の調整、生産性の向上・・・
そういった「無駄」を減らす発想では、組織も社会も内側から変わることはもはやできないのです。

 

 

私の会社でも仕事量に関わらず就業時間内に全ての仕事を終える社員がいます。

 

それは、仕事を時間とお金という制約の中で考えていることによるものです。

「余剰」には「時間」のように見えるものだけではなく、「想い」や「願い」「意志」などの見えないものも含まれます。

むしろ、そういったものを大切にしていかなければいけない社会なのです。

 

 

少し、大袈裟な言い方になりますが、組織や社会に「余剰」つまり、自他を超えたものに託す行いを増やしていくことが、コロナの脅威が去ったことになるのではないでしょうか?

 

あなたは今回のコロナウイルス騒動について、どんな風に考えていますか?そして、どんな会社でどんな仕事をしていきたいですか?ぜひ意見を聞かせて下さい。

Posted by 奥富 宏幸 at 16:47 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

やばせ一郎さんが3月28日(土)に子ども食堂を開催します。

 

今回で47回目になります!お時間のある方はぜひご参加下さい!!

 

◆◆◆夢だいにんぐ詳細◆◆◆

 

日時:3月28日(土)12時~14時

 

場所:夢はうす(狭山市中央3‐7、西武狭山台ハイツN-108)

 

料金:こども(中学生以下)無料 大人300円

 

メニュー:稲庭うどん(※持ち帰りとなります)

 

主催:NPO法人まちのつながり推進室

 

 

子どもの食事難や孤食に対する問題は、親の仕事や家庭の事情も関係していて複雑です。

 

でも、難しいことはひとまず置いておいて、温かい美味しい食事を提供することで子供たちが気持ちもお腹も温かくなる時間を過ごして欲しいというやばせさんの思いと活動は、本当に素晴らしいと思いますし、出来る範囲で応援していきたいです。

 

新型コロナウイルスの影響で学校が休みの子供たちにとって、息抜きの時間になるといいなと思います。

Posted by 奥富 宏幸 at 16:14 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

 

やばせ一郎さんが明日の土曜日に子ども食堂を開催します。

 

今回で46回目になります!お時間のある方はぜひご参加下さい!!

 

◆◆◆夢だいにんぐ詳細◆◆◆

 

日時:3月12日(木)12時~14時

 

場所:夢はうす(狭山市中央3‐7、西武狭山台ハイツN-108)

 

料金:こども(中学生以下)無料 大人300円

 

メニュー:焼き芋(※持ち帰りとなります)

 

主催:NPO法人まちのつながり推進室

 

 

子どもの食事難や孤食に対する問題は、親の仕事や家庭の事情も関係していて複雑です。

 

でも、難しいことはひとまず置いておいて、温かい美味しい食事を提供することで子供たちが気持ちもお腹も温かくなる時間を過ごして欲しいというやばせさんの思いと活動は、本当に素晴らしいと思いますし、出来る範囲で応援していきたいです。

 

コロナウイルスの影響で学校が休みの子供たちにとって、息抜きの時間になるといいなと思います。

Posted by 奥富 宏幸 at 08:36 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

現在、国立新美術館で「ブダペスト展」が開催されています。

 

シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》は新聞や広告などの
メディアで度々紹介されているので、目にした方もいるのではないでしょうか?

 

 

私は絵画には明るくありませんが、個人的に惹かれる作品があれば
時々購入しています。

 

名画というのは、作者の死後に評価が高くなり、
高額で売買されることが多いですね。

 

 

時間の流れの中で、たくさんの人が作品の目に見えない価値を
言語化していく中に作品の存在意義を見出そうとしているのです。

 

それは、作品が買い手を選んでいるとも言うことが出来ます。

 

 

絵画に限らずですが、数百年、数千年もの間、
一つの作品が何人もの手に渡る。

 

そして、時には歴史の荒波に飲まれ、暗闇に葬り去られても、
存在する。

 

その奇跡に感動を覚えます。

 

 

買い手が保有した作品は、美術館や博物館で展示され、

さらに多くの人にその作品の存在と価値を与えることもあれば、

表舞台には出ずに長い間ひっそりと眠っていることもあるでしょう。

 

それでも、その作品は確かに存在しています。

 

いろいろな人の努力や思いによって、名画や名品は生き続けています。

 

 

作品は買い手が所有しているということになりますが、
より大きな、より長い視点でみれば、その作品というのは、
社会全体で所有しているとも言えます。

 

 

それは、その作品を残し、次の代に遺す・託すことが
今を生きる者の自然な使命感として現われるのではないでしょうか?

 

 

 

所有とよく比較されるのがシェア、共有です。

 

最近は、シェアリングエコノミーの中で

ビジネスをすることが当たり前の考えになっていますね。

 

「空間」「移動」「スキル」「モノ」「お金」などをシェアすることで、
遊休資産を活用したり、新しいビジネス機会を創出しようとするものです。

 

 

特に最近話題になっているのが、「サブスク」です。
いわゆる定額課金サービスですが、日々進化しています。

 

アマゾンで毎月定額を支払えば映画や音楽が見放題というものですが、
トヨタが自動車のサブスクなんかも始めています。

 

個人的には車はサブスクをするよりも、

相乗りサービスやレンタカーをもっと充実させればよいと考えます

 

 

サブスクは利用者からすれば、好きな時に好きなものを使うことができ、
モノが増える問題を回避できるので、コスパも高いと考えるでしょう。

 

 

歌は聴き放題、映画やドラマは見放題、服や時計を勝手に選んでくれる、
良いこと尽くめのように思います。

 

 

ただ・・・

 

サブスクを頻繁に利用するようになると、「捨てる」「始末をする」という
考えがだんだんと薄れていくでしょう。

 

 

「最後まで見届ける」という人間が本来大切にしてきた価値観が
社会の中でだんだん見えなくなってきています。

 

 

名画にもサブスクにも、「捨てる」という考えがないですが、
その意味合いは全く異なるのです。

 

目に見えないものの価値こそ、社会全体で所有しなければいけません。

 

Posted by 奥富 宏幸 at 13:05 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

人の真価を見る方法は、いくつかあります。

 

 

自分より立場の弱い人への態度。

転職や起業などで失敗した後の対応。
食事のマナー、などなど。

 

 

あなたは自分がよく知らない人の
本性、本質をどのように見極めているでしょうか?

 

 

 

私は、モノをすてる時に、

その人の真価が分かるように思えます。

 

 

正確に言えば、

何かを買って、使い、すてるまでの一連の流れの中に、
その人の執着や思いやりが見え隠れします。

 

 

そして、何かをすてる瞬間に、

何を思うのか、
何も思わないのか、

 

そこが、人によって普段は見えない「違い」が出る分岐点。

 

 

捨てる前にきちんと分別できる人は、
物事の分別がある人と言っても
いいんじゃないでしょうか。

 

 

ネット社会は情報過多を生み、
相手が見えない故に、
差別的な言動もしやすくなってしまいました。

 

 

差別と区別、
区別と分別。

 

 

 

そう、

すてることは、
想像力を広げること。

 

 

その想像力、

 

相手を推し量る、
自分の外界を思いはかる。

 

その想像力がなくなると、
自己中心主義に走ってしまいます。

そういう人が増えています。

 

 

人が気にしない、気にしたくないことを気にできる。
そこにその人の真価が見えます。

 

 

あなたは、すてる時に何を思いますか?

Posted by 奥富 宏幸 at 15:56 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

先週1週間、遅い夏休みでベトナムへ飛びました。

 

 

東南アジア特有のジトッとした空気に、
人々の活気や熱気、土や生き物の匂いを覚え、
私の中の嗅覚が研ぎ澄ませる感覚がありました。

 

 

東京にはない「匂い」。

 

 

東京は無味乾燥な場所になってしまった。
クリーンで正確で、スピーディーで、
似たものばかりのオンパレード。

 

その結果、

余計なもの、手間暇かかるものを

どんどん失ってしまったな。

 

見えないものが本当に見えなくなってしまった。

その失ったものを取り戻そうとしている今の社会。

 

 

 

空港に降りると、MajortyからMinorityになることを強烈に意識します。

 

入国審査の列を待っていると、
ふと国の違いって何なのかなと感じました。

 

 

 

ホーチミンは9年ぶり、ダナン・ホイアンは5年ぶりでしたが、
街の変容ぶりに驚きました。

 

 

【ホーチミン】

ホーチミンは相変わらずバイクが多かったです。

 

現地ガイドの話によると、人口に対するバイク保有台数は台湾に次ぐ第2位。

 

ホンダやヤマハが人気ですが、新車は20万円ほどするので、
偽物が3万円ほどで買えるので売れているそう。

 

3人までなら乗せてOKというものベトナム流です。

 

 

とにかく、車もバイクもクラクションを鳴らします。

 

歩行者に注意したり、追い越しの合図だったり、
「直進するよ!」という意思表示だったり。

 

それでも、交通事故が起きないのが不思議です。

信号機や横断歩道は数えるほどしかありませんでした。

 

 

「あおり運転」が横行する日本はどこに向かっているのか・・・

 

 

【ダナン】

おしゃれなカフェやお店がたくさん出来、
外国資本がどんどん進出していました。

 

 

ダナンは5年前とは比べものにならないほどに、
リゾート開発化され、ホテルもバンバン立っていました。

 

 

夜は派手なネオンや照明が街中を照らしていました。

お金がまわり、人々に活気や熱気がある場所でした。

 

日本にもこんな時代があったのだろうな。

 

 

【ホイアン】 

5年前にも行ったホイアンは、やっぱり素敵なところでした。

街全体が世界遺産に登録されているんです。

 

 

前回の旅でたまたま入ったギャラリーでは、素敵な絵を買いました。

 

 

久しぶりにオーナーと再開し、話に花を咲かせました。

 

「私の絵の値段はどんどん上がっているから、あなたはラッキーだ。」

 

と笑いながら話していました。

 

「ほんとかよっ!」

 

 

 

旅は、本当にいいです。

 

自分の生きる世界をメタ認知できる良い機会です。

 

 

自分の常識は、誰かの常識のコピーでないか?
自分の人生を生きるとはどういうことか?

 

旅を通じて、その答えらしきものがぼんやり見える。

 

 

海外旅行や遠出をしなくても、
普段通らない道を通ったり、
普段立ち寄らないお店へ入ったり、
そんなことも「旅」の一部になるでしょう。

 

 

以前、どこかの雑誌にあった

 

「日常の輪から離れる全ての行為を旅と呼びたい」

 

という言葉を思い出しました。

 

 

また、旅に出よう。

Posted by 奥富 宏幸 at 20:34 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

人は簡単には死ねない。

 

 

でも、どこかで今までの自分を
リセットしたいという思いがある。

 

 

その欲求を満たすために、

 

余分な買い物をする。
食べ過ぎ、飲み過ぎる。
ノウハウや情報を過剰にインプットする。

 

 

飽くなき所有欲と自己顕示欲に駆り立てられるのである。

 

 

そして、どこかの時点で我に返り、後悔する。

 

 

「どうして、こんなことをしてしまったんだ・・・」

 

「分かっているけど、またやってしまった・・・」

 

そんな言葉を繰り返す。

 

 

その一連の行為は、
「過剰」による死を経験することでもある。

 

 

簡単に死ねないので、
「過剰」による死を求める。

 

 

即物的な痛みと快楽は、
一度味わうとなかなかな手放せない。

 

 

 

以前、マレーシアの空港でステーキとフレンチフライを、
表現は悪いが、養豚場のブタのように食い荒らす欧米人がいた。

 

 

明らかに食べきれない量の食事を
「食糧」としてか見ていないのだろうか、
残った食事は、何の”尊厳”もなく捨て去られていた。

 

 

彼らにとって、それが「死」を経験する儀式のようでもあった。

 

 

 

一方で、私がホームステイしたフィリピンの家庭では、
家族全員が揃って、白米、魚、もう一品という質素な食事を毎回頂いた。

 

 

普段は滅多に食べないマンゴーやメロンを外国から来た
私のために惜しげもなく出してくれた。

 

 

客人のための「心からのおもてなしの一品」だったのかもしれない。

ホストファミリーのお母さんが、

 

 

「もっと食べなさい」と何度も私に言ってくれた。
その言葉にとても”愛おしさ”を感じた。

 

 

同じ食事でも、彼らは「生」を自然と感じる場なのだろう。

 

 

生きることは死ぬことでもあるし、
生きることは善く生きることでもある。

 

 

あなたは、どちらを選んで生きていますか?

Posted by 奥富 宏幸 at 05:55 |  | この記事のURL | コメント (0) | トラックバック (0)

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